読書日記(3/18-4/10)

3/18

文通相手がおもしろいと手紙に書いていた『赤と青とエスキース』(青山美智子)を読んだ。四章の「大切になさいね。共にいてくれる、あたたかな生き物の存在を」という台詞がよかった。犬と暮らしたいよ本当に…。

3/24

ミステリーランドの『くらのかみ』(小野不由美)。互いに知っている人たちの間に本当は知らない人間(ここでは座敷童のような存在)がまぎれ込んでいるのはわかっているけど、それが誰だかはわからないという状況はかなり怖い。耕介が事件について父親へ相談する場面がよかった。

3/30

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品が大好きなのだが、全作品を網羅しているわけではない。ジョーンズは2011年に亡くなっていてもう新作が出ることがなく、すべて読み切ってしまうと悲しいからだ(もちろん同じ作品を何度読み返してもおもしろいのだが、初読のわくわく感や一見するとめちゃくちゃな展開に振り回される楽しさはひとしおだ)。なのでまだ読んでいない作品を取っておいて、機会のあるときに少しずつ読んでいる。

『魔法泥棒』もそのうちの一冊だ。強大な魔法の力を持ちつつもいまいちそれを自覚しているのかわからないジーラや、若い男のエネルギーを飲み尽くしている冷酷な女領主マーセニーなど、他のジョーンズ作品に出てくるキャラと似ている部分があって楽しい。ラストの方でフランがやけになってアルスの道士たちを巻き込み踊り出すところが爽快だった。はじめは物理的な攻撃をしかけるためにやって来たのに、最後には潜在的に不満をもっていた住人たちを扇動して「ええじゃないか」的に踊ることで秩序を崩壊させるのがいい。

4/9

SNSの投稿で見かけておもしろそうだなと思っていた『遺品』(若竹七海)という作品を読んだところ、ものすごくおもしろかった。ホラーとしておもしろいだけでなく、ミステリ要素もあるところがよかった。

居場所のない主人公の女性が館に魅入られていく様子や、熱狂した人々に石を投げられるシーン、ラストの展開にシャーリイ・ジャクスンっぽさを感じた(ジャクスンの作品だったらタケルは出てこないだろうけど)。

主人公の「望むとすれば、逃げ出すことのほう。いや、むしろ逃げ出さなくてもすむように望むのではないだろうか」(p.314)という独白が印象的だった。本当は「ここ」で好きな仕事に打ち込み、好きな人に囲まれて楽しく生きていければいいのだろうし、そのために努力するのが「正解」なんだろうけど、でも偏執的な人間にロックオンされたら逃げるしかない(この作品では個人対個人の執着を描いていたけど、特定の属性に対する執着めいたバウンダリーの侵害(「~~はこう生きるべき、こういう生き方こそが幸せなのだ」みたいな言説とかね)や、そうした侵害の構造化はありふれている)。なので、そういう人たちの手の届かない私の城で楽しくやらせてもらいますね、と逃げ出すのは理解できるし、けっこう惹かれる。ただ、(ラストを踏まえるとささいなことかもしれないが、)展覧会を訪れた最初の客たちを主人公が案内するシーンや、フィルムの上映前に主人公の解説へ拍手が起こったシーンなど、少しでも彼女が「ここ」で報われたと思える瞬間があってよかったな。

4/10

『遺品』がおもしろかったので、同じく若竹七海の『静かな炎天』を読んでみた。葉村晶という探偵が活躍するシリーズのうちの一冊で、おもしろかったから他の作品も読もうと思う。主人公・葉村晶はミステリ作品を中心に扱う古本屋でバイトしつつ探偵をしているということもあり、ミステリ作品の名前がよく出てくる。ブックリストとしても興味深い。

読書日記(3/3-3/16)

3/3

ゆっくり読み進めていた『穏やかな死者たち:シャーリイ・ジャクスン・トリビュート』(エレン・ダトロウ編)を読み終わった。深緑野分による解説でも触れられているが、シャーリイ・ジャクスンっぽさと言えば底知れない悪意や不条理(「くじ」)、語り手のゆがんだ視点(『ずっとお城で暮らしてる』)、屋敷といった建造物に魅入られてしまう様子(『丘の屋敷』)などが思い浮かぶ。様々な作家たちがジャクスンのエッセンスを取り入れながら書いた作品を読んでいると、「あ~シャーリイ・ジャクスンのこういうところ、私も大好き!!」と叫びたくなってくる。

特に気に入った作品たち…「弔いの鳥」(登場人物たちの嫌な感じがかなりジャクスンっぽい)、「所有者直販物件」(建物の魔力に惹きつけられる様子がいいし、シスターフッドを感じる)、「柵の出入り口」(ちょっとウルフの『オーランドー』っぽい)、「スキンダーのヴェール」(奇妙だけど少しあたたかみも感じるファンタジー

3/7

書店で川野芽生の『Blue』を見かけたので買った。トランスジェンダー女性である主人公が、「この世には私のことを語る言葉がないのでは?」という疑問をSNSに書く場面が印象的だった。認識的不正義に関する議論が示したように、言葉がないと誰かの経験や構造的な差別を話し、共有し、そのおかしさを訴えることが難しくなる(e.g. 「セクシュアルハラスメント」)。シスジェンダーが支配的なこの世界において、トランスジェンダーの人々の経験を語る言葉は不均衡に少ない。まだそれをぴったりと表す言葉が(浸透してい)ないからといってそれはなかったことにならないのに。

3/10

中学生くらいのときに読んだ『魔女の死んだ家』(篠田真由美)を図書館で見つけたので再読した。この本は「ミステリーランド」という児童向けレーベルのうちの一冊で、一時期このレーベルの作品をよく読んでいた。今振り返ると、綾辻行人二階堂黎人太田忠司小野不由美など執筆者たちの豪華さに驚く。

凝った装丁も魅力的だ。背表紙にはそれぞれ異なる色の布が使われていて、ハードカバーの表紙のタイトルは箔押しになっており、見返しには少しレトロな香りのする幾何学模様があしらわれている。今になって読み返してみると、子どもたちへ手加減なくおもしろいミステリーを届けようという大人たちの気概がうかがえてぐっとくる。

3/11

おもしろさとかなしさは案外近いところにあるものなんだな、と赤染晶子のエッセイ『じゃむパンの日』を読んで思う。手袋を編もうとしたら最終的に右手を4つ編んでしまう話と、貸衣装屋へ婚礼衣装を選びに来た新婦を試着室ではげます話が特に好きだった。

3/16

恩田陸の『スキマワラシ』。結局「スキマワラシ」がなぜ、どうやって現れるようになったのか?といった疑問は残るものの、爽やかな読後感で嫌いじゃなかった。ぼーっとしているようで要所要所ではちゃんと活躍する雑種犬ジローとナットがよかった。

読書日記(2/9-2/29)

2/9

北見隆の表紙に目を引かれて借りてきた『たまご猫』(皆川博子)を読む。日常の隙間に存在する不条理へ、ふと飲み込まれてしまう怖さ。不条理の怖さもありつつ、人同士の情念の怖さもある。性と死は強く結びついているんだな~とぼんやり思った。あと、どの短編も鮮明に映像を喚起されるような文章で、それがまた怖さと美しさをはらんでいた。

2/12

沢村貞子が26年間にわたって書き綴ってきた献立日記を抜粋しつつ食に関するエッセイも収録された『わたしの献立日記』を近所の書店で買った。個人で営業されている小さな書店なのだが、私の好みっぽいけど私の本棚にない本が絶妙に置かれており、ときどき立ち寄ると楽しい。

献立日記のはじめの方は夕食のみを記録していたようだが、途中から朝食・昼食(「おやつ」と表記)・夕食と三食きっちり書かれている。俳優として活躍しつつここまでしっかりごはんを作り、記録していたってすごいな。意志の力だ。

最近、生活を自分のために心地よくして、さらにそれを維持していくにはつくづく意志とエネルギーが必要だなと思うことが多い。一人暮らしだと特に制約がないため、私は「楽だが心地よくはない」という状態に流れがちだ。別に悪いことでもないしそれしか無理なときもあるけど、多少がんばって心地よくした方が気分がいい。そういうわけで、最近はときどき自炊をするようにしている。

このところ参考にしているレシピ本たち。
『ズボラさんの作り置き』(いち):5種類程度の作り置きを並行して作ろうというコンセプトの本。一回がんばれば4,5日はごはんのことを考えずに済むのでありがたいのだが、並行して作るのにものすごく認知資源を使うので疲れる。慣れもあるのかもしれないが。

『基本調味料で作る体にいいスープ』(齋藤菜々子):スープとごはんで一食が完結すれば楽だな~と思って買ってみた。いろいろなテイストのスープが載っており、眺めているだけでも楽しい。具だくさんにしたいので、合いそうな野菜を勝手に加えたりしている。この前作ったタラとじゃがいものチャウダースープがおいしかった。

2/13

図書館で人気の本を予約すると忘れた頃に確保できたという連絡が来て、突然のプレゼントみたいでうれしい。柚木麻子の『オール・ノット』が手元に来たので読んでいる。オール・ノットは"all not"ではなく"all knot"。主にパールのネックレスを作るときに使われる技法で、ネックレスの一部がちぎれてもパールがばらばらにならないというもののようだ。

2/25

今度読書会に参加するので、課題本『大どろぼうホッツェンプロッツ』(プロイスラー)を読んだ。小学校の図書館には必ずおいてある本だしかなり見知った表紙なのでこれまでに読んだことがあるものと思い込んでいたのだが、もしかすると今回が初読かもしれない。でも私はけっこう前に読んだ本だと内容をきれいに忘れていたりするからもしかすると何回か読んだことあるかも。この世にはおもしろくてまだ読んだことのない本が大量にあるので新しい本をどんどん読んでいきたいのだが、おもしろくてもするすると内容を忘れていく場合、読むことに意味はあるのだろうかと思ってしまう。だからこういう日記をつけているんだろうな。

2/29

書店で開催されていたフェアでおもしろそうだった『図書館の魔女 第一巻』(高田大介)をようやく手に取る。第一巻は主に登場人物と世界観の紹介に紙幅がさかれており、まだ物語は大きく動いていない。第二巻以降も楽しみだ。数多くの言語に通じ、本に埋もれて仕事をしつつ国の政略的な駆け引きにも長けている、偏屈で聡明なマツリカ。もっと小さな少女だった頃に読んだら致命的に影響を受けていた気がする。

読書日記(1/23-1/30)

1/23

最近、睡眠を改善するため湯船につかっている。ただ座っているのも暇なので本を読むことが多い。ここ数日は『半沢直樹 アルルカンと道化師』(池井戸潤)を読んでいた。半沢直樹シリーズの第五弾ということだが、前巻を読んでいなくてもついていけると聞いたので手に取ってみた。ドラマ化もされた有名作品なので、銀行を舞台に半沢直樹というキャラクターが活躍する話だとはなんとなく知っていたのだが、『アルルカンと道化師』は思いのほかミステリ要素が強くておもしろかった。後書きを読む限り他の巻はあまりそういった要素がなく、権力闘争が中心らしい。ちょっと残念。

1/24

語ること・言葉にすることには大きな力がある。経験してきたことに名前をつけて自分自身に・誰かに語りかけることから、傷ついた自分のケアや社会運動は始まるのではないだろうか。『みんなの宗教2世問題』(編 横道誠)の第一章は、統一教会エホバの証人創価学会といった宗教団体(一部マルチ商法)の2世たちの語りで構成されている。親から強制される信仰とそこから生じる軋轢、教団や家庭での暴力。ようやく団体から離れても社会にはなじみにくい。重なる部分もありつつ個別の体験をしてきた2世の方たちの声の力強さに引きずられるようにして一気に読んだ。一方で、たしかに2世たちの語りには引きつけられるが、(本書でも触れられているように)その語りを一過性のものとしてセンセーショナルに消費してはならない。力強くも重い言葉を聞いた第三者や社会には、それに応答する責任があると思う。

 

1/27

前から探していた『かわいいピンクの竜になる』(川野芽生)を見かけたので買う。ロリィタをはじめとする様々なファッションアイテムの描写にうっとりしつつ、「ロリィタは無遠慮な他者からの消費と侵害、無神経な世界への迎合を徹底的に拒絶するファッションである(そしてもちろん誰がどんな服を着ていようと同意なく他者から侵害されることはあってはならない)」、という透徹した姿勢にめちゃくちゃ頷きながら読んだ。

今はそうでもないのだが、一時期私もロリィタが気になっていた。図書館のリサイクル本コーナーでたまたま手に取った『鱗姫』を読んでから嶽本野ばらの作品にはまって、そこでMILKやCOMME des GARCONS、Jane Marple、BABY, THE STARS SHINE BRIGHTなどさまざまなブランド、ひいてはロリィタに出会った。今考えると、私が平均より服好きなのは嶽本野ばら作品の影響なのかもしれない。

高校生のとき、学校から数駅離れた街にあったBABY, THE STARS SHINE BRIGHTに一度行ったことがある。ロリィタ服は16,7歳にとってなかなか手を出せない価格だったが、きらびやかな店内の香りを少しでも持ち帰りたくて、ふんだんにレースがあしらわれたワインレッドのリボンバレッタを購入した記憶がある。合わせる服がなかったので外につけて出たことは結局なかったけど、見るたびにうれしかった。あれはいい買い物だったな。

 

1/28

漫画アプリで『もやしもん』を読みすすめている。博士課程の優秀な院生で、女性ジェンダーで、いつも自分の好きなボンデージファッションを着ている長谷川遥さん、憧れるしかないよね。『動物のお医者さん』の菱沼さんにも通じるものがある。

 

1/30

理瀬シリーズの最新巻『夜明けの花園』(恩田陸)が出ていたのでさっそく買ってきた。あまり見ない小ぶりなハードカバーで、北見隆の装画が美しい。相変わらず不穏な空気がただよいつつ、『麦の海に沈む果実』の前日譚とも言える「丘をゆく船」は爽やさもあって好きだった。その後に起きる出来事を思い起こすとその爽やかな希望さえ痛ましく思えてくるけど。

読書日記(12/26-1/8)

12/26

荻原規子の『樹上のゆりかご』。なにかと男子生徒がデフォルトになっていて、「女子には危険だから」という聞こえのいい理由で女子生徒が伝統的な行事から排除される環境。多数派である男子生徒たちのカルチャーになじめない者が感じる、そこはかとない居心地の悪さ。現在男子学生の比率が高い場所に身を置いている者として、身に覚えがある。明白な差別とまでは言えないけど(もちろんジェンダー比率の偏り自体は社会の性差別を反映したものだ)、なんとなく自分は心の底からは歓迎されていない・ここは私の場所ではないという気分になることがあるのだ。

少し前の読書日記にも書いたが、『樹上のゆりかご』も「世界を破壊しようとした女が結局主人公(的なもの)に放逐される物語」の一つなのかもしれない。歴代の(男子)生徒たちがつちかってきて今も学校を支配するカルチャー・伝統に対してサロメの論理で対抗しようとした有理は立派だった。最終的に破れて学校を去ることになったが、彼女の行為はたしかに既存の規範を揺るがした。一方で、規範になじめなかった者・反抗的な者は結局「異常者」として追放されてしまうのかと少し悲しくもあった。

あと、随所に出てくる「シンドバッドの船乗り」の話からして前作があるっぽいな…?と思っていたら、案の定主人公である上田ひろみが中学生だったときのファンタジー作品があるみたいだ。読んでみよう。

12/30

年末年始なので、これを機に積ん読を消化している。今日は『洗脳の楽園』(米本和広)の大部分と『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』(森山至貴・能町みね子)を少し読んだ。前者はヤマギシ会の「特講」という合宿への潜入レポが中心になっているノンフィクションである。ヤマギシ会は特講や村(ヤマギシズム実顕地)を拡大することで楽園を築こうとしている。しかし、作中でも指摘されているように、結局この「ユートピア」は子どもや女性など相対的に弱い立場にいる人々が犠牲になることで成り立っていたのではないだろうか?シスへテロの成人男性にとってはユートピアかもしれないけど、それ以外の属性の人にとってもユートピアだったのかは大いに疑問が残る。わかりやすいのは村人たちの結婚だ。村では「調正機関」という役所のような組織によって結婚する相手が半強制的に決められるのだが、そこでは若年女性と中年男性の結婚が「調正」されやすいようだ(「若い女性の方が健康な子どもを産む」という優生思想に基づく)。ユートピアという現実離れした理想の実現過程で摩擦が起こることは想像に難くないが、そもそもそのユートピア像もゆがんでいるのだ。

12/31

『樹上のゆりかご』の前日譚である『これは王国のかぎ』(荻原規子)を読んだ。性別すら判然とせず、軽々と空を飛んだり透明になったり、思い描いたものを目の前に取り出したりできる魔神族(ジン)。なんでもできるけど物語の当事者にはなれない魔神族と現実世界での自分を対比させることで「物語に逃避するだけじゃなく、現実世界でも地に足着けて当事者意識を持ってなんとかやっていけたらいいよね」というメッセージをはっきりさせている側面があると思うのだが、正直魔神族にはなりたいよな。好きなものをいつでも取り出せたら便利だし。

1/3

カクヨムで連載されていた『近畿地方のある場所について』(背筋)の単行本を書店で見つける。書籍という形で読むのもおもしろかったけど、作中に掲示板のまとめ記事などがあるのでネットで読むと一段と没入感がありそう。雑誌記事やインタビューの書き起こしといった短く断片的な情報群を読むうちにだんだん怪異の輪郭が定まっていき、具体的な手触りが浮かんでくる。怖いけど、怪異の全容がちらついて気になるのでつい読み進めてしまった。オチは映画「呪詛」を思い出した。理性的だと思っていた語り手がすでに怪異側に取り込まれていた・取り込まれつつあるという仕掛けは、その作品に触れた時点でアウトという逃げ場のなさがあっていい。自分は安全圏にいると思っていたらいつの間にか巻き込まれているというのがたまらない。

1/8

小学生くらいの頃地元の図書館で岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』を読んだのがホラー作品(特に小説)に触れた原体験だった気がする。岡山弁でとうとうと語られる悲しみや強い情念に衝撃を受け、それ以来しばらく岩井志麻子を立て続けに読んでいた。ホラー短編集『七つのカップ』(朝宮運河 編)にも岩井志麻子の作品が収録されていた。小野不由美や澤村伊智も参加していたのに惹かれて手に取ってみたのだが、やはり私は一人称で語られていていつのまにか語り手のバイアスが強くなっていくようなホラーが好きなんだなと再確認した。小林泰三の「お祖父ちゃんの絵」もそういうタイプの話ですごく怖かった。最高。

読書日記(12/1-12/20)

12/1

人からすすめてもらった『個人的な体験』(大江健三郎)をようやく読み切る。女性であり主人公(鳥)の性的対象である火見子とかつて鳥が見捨てたゲイの菊比古が完全に鳥の成長、というか未熟さへの決別のための道具として配置されており、いっそすがすがしい。個人的には鳥側の葛藤より火見子や鳥の妻(作中では名前すら与えられていない)の内面の方が気になる。

鳥が最後には「子どものためではなく自分自身のために子どもを救うんだ」と自覚するところは好きだった。自分はどこまでも自己中心的であるということを受け入れたところからいろいろ始めていくしかないよね。

12/2

荻原規子の「西の善き魔女」シリーズは、気になっていたけど読む機会を逃してきた作品の一つだ。外伝である第6巻『金の糸紡げば』は単体でもおもしろいと聞いたので読んでみる。秋から夏へと移り変わっていく荒れ地の自然やミツバチの祭りといった風習の描写が美しく、すぐに引き込まれた。最後の断章で少しほのめかされているのだが、ディー博士が天文台を離れなかった理由、フィリエルの母の出自、ルーンの出身など、意図的な空白が気になる…!この機会にシリーズ通して読んでみようかと思ったけど、シリーズものだと「天冥の標」も途中で積んでいるので迷う。シリーズものを2つ以上同時に読むと設定や筋がこんがらがってくるからな~。

12/5

益田ミリの『お茶の時間』。実家の母親とお茶を飲みながら話しているとき、どこか別の世界で自分が生んで成長した娘(この世界では存在しない)と自分が同じようにお茶を飲んでいるかもしれないと想像する描写があった。これまで自分が取ってきた選択に応じて無数のパラレルワールドが生まれ、この世界ではうまくいっていないことも、どこかの並行世界ではうまくいっているのかもしれない。その世界に行きたいとまでは思わないけど、そうなる可能性もあったんだと考えるだけでなんとなくいやされるものがある。お茶の時間という、生活におけるエアポケットのような時間にそういう益体もないことをふわふわと想像するのが私はかなり好きだ。

12/13

ここ数年、スピリチュアリティ代替医療などに関心がある。内容自体に興味があるというより、「必ずしも科学的に証明されていないことがなぜ・どのように人々に受け入れられ、求められているのか?」に興味がある。『るん(笑)』(酉島伝法)は単行本が出たときからなんとなく気になっていたのだが、この前出た文庫版の裏にまじないや占いといったスピリチュアルなものが現在の科学のような立場にある世界の話だと書いてあり「絶対おもしろいじゃん!」と思って手に取った。やまいだれを使うと縁起が悪いということで「病気」が「丙気」になり、「癌」が「るん(笑)」になる世界。スピリチュアリティや宗教では、日常生活では聞かないような独自の用語が使われがちである。思考の統制はまず言葉から始まるものなかもしれない。

12/20

家父長制の根付いた社会で軽視されてきた女性が宇宙人や怪異の力をあやつって自分たちを虐げてきた社会そのものを破壊しようとする。「アルワラの潮の音」(小川一水『フリーランチの時代』)にも、映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」にもそういう側面がある。しかし、最終的に社会や世界は完全には破壊されない。ラヴカ(ゲゲゲの謎だと沙代)は結局主人公である男たちに退治される。主観的な世界の破壊(いわゆる「狂気」に陥って世界を拒否する話。例えば『ずっとお城で暮らしてる』)も好きだけど、私としてはもっと徹底的に破壊してほしい。一方で、そうした破壊願望の先にいざ世界が滅びるとなると、ジェンダーや年齢・経済的な状況・社会的な立場などにおける弱者がまっさきに割を食うことになる。だから主人公たちが女たちの「暴走」を止めることは正しい。正しいけど、やっぱり一回すべて破壊しようよ~と思ってしまう。

リクエスト募集

もしよければおすすめの本を教えてください。時間はかかるかもしれませんが読んで読書日記に書きます。

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読書日記(10/29-11/16)

10/29

友だちが何か本をプレゼントしてくれるというので、シャーリイ・ジャクスンの『くじ』をリクエストした。冗談半分ではあっても他人の家で我が物顔に振る舞う人(「おふくろの味」)、自分の満足のために孫や子どもの才能をひけらかそうとする人(「麻服の午後」)、家事の手伝いに通っていた家の夫人に対して自分もその家に住ませるようほのめかす人(「大きな靴の男たち」)。自分と相手の境界線を無視する人・曖昧な人は怖い、というか嫌だ。

『くじ』はおもしろかったが、物語の悪意にあてられて少し疲れた。バランスを取りたかったので合間に『るきさん』(高野文子)を読む。主人公のるきさんには力みや焦りがまったくないように見える。自分の仕事を持ち、えっちゃんという親友がいて、一人の時間を飄々と(でも楽しそうに)過ごしており、ときどき突拍子もない決断をする。でも、るきさん自身は「突拍子もない」とは思ってなさそう。私もこういう大人になりたいな。るきさんたちの年齢になるには後10年くらいあるみたいだからがんばります。

11/5

ファミレスで『78枚のカードで占う、いちばんていねいなタロット』(LUA)を読む。偶然引いたカードが「事実」を言い当てることはないだろうが、そのカードを見て自分がどう感じるのか言葉にしていくと、自分の持っているバイアスや願望に気がつくことができておもしろい。この頃タロットカードや西洋占星術などにほんの少し触れてみて、占いには、意識してもいなかったキーワードや概念を偶然によって呼び込むという機能があるのではないだろうかと感じた。

最近はこの本の解釈を確認しつつ、自分の運勢や目の前の選択肢を占ってみている。初心者なのでまずはスタンダードなウェイト版のカードを使っているのだが、絵柄があまり好みではないのでもう少し慣れたらかわいいタロットカードもほしいな。

11/10

書籍部で『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』(森山至貴・能町みね子)と『ダーリンはネトウヨ』(クー・ジャイン)を買った。『ダーリンはネトウヨ』は、まだ翻訳される前にMoment Joonが紹介していて気になっていたから見つけられてうれしい。

日本人が韓国出身である留学生うーちゃんに見せる無邪気で差別的な態度。「日本語上手だね」という声かけ自体には多分悪意はない。でも、うーちゃんは何回も何回もそうした「悪意のない品評」にさらされる。「無邪気な」マイクロアグレッションがうーちゃんを削っていく。

うーちゃんの経験した差別や日常的に浴びせられるマイクロアグレッションは、この社会で「シス女性の日本人」として埋没して生きていくことができる特権を持つ私が心からわかると言ってはいけないものだと思う。一方で、「ダーリン」が無意識であっても差別的であること、この社会でマジョリティである「ダーリン」の見えている景色と自分に見えている景色の断絶に唖然としてしまうことは、友人からも似たような話を聞いたことがある。端から見ると「そんな人とは別れればいい」と思ってしまうが、うーちゃんにとって「ダーリン(いっしー)」は、すぐさま「差別主義者である」とすっぱり切り捨てるにはさまざまな経験を共有しすぎていたし、いいところも知りすぎていた相手だったのだ。それでも、相手のふとした言動で自分を削り続けることはできないよね。

11/12

数ヶ月前に往来堂書店で開催されていた「D坂文庫2023夏」という文庫フェアで紹介されていた『ファッションフード、あります。はやりの食べ物クロニクル』を読んだ。著者の畑中三応子は料理本・雑誌(『シェフ・シリーズ』や『暮しの設計』など)の編集者として活躍してきた人らしい。

この本によると、ファッションフードとは「純粋に味覚を楽しむ美食行為としてではなく、流行の洋服や音楽、アートやマンガなどのポップカルチャーと同じ次元で消費される食べ物(p.15)」である。人々はファッションフードの味そのものというより、それに付随する情報を消費するということだ。主に1970年代~2011年ごろのファッションフードが挙げられているのだが、キャラ弁や「食べるラー油」などの流行は私の記憶にもある。
はっきりとジェンダーフェミニズムなどの言葉で説明されているわけではないが、随所でファッションフードがジェンダーという観点から読み解かれているのがおもしろい。70年代に『an・an』や『non-no』といった女性向けの雑誌が食と家事を切り離した上で魅力的なファッションフードを提示し、家事という義務としての食ではなく娯楽や趣味としての食を打ち出したこと。缶コーヒーの広告が「働く男の理想像」を広告として強調してきたこと(これは『ジェンダー目線の広告観察』(小林美香)でも触れられていた)。スローフードに対して「粗食と同様、スローフードアメリカ型食生活を否定して、いまこそ『美食』に戻ろうと説いた。しかし、こうした食の伝統回帰思想に出会うたび気になるのは『だれが作る?』かだ。食材の調達からして手間と労力のかかる昔の料理は、女をもう一度台所に縛りつけないだろうか。(p.265)」と指摘していること。食とジェンダーは不可分な関係にあるのだ。

ところで、最近のファッションフードはなんだろう?クラフトビール、パフェ、「純喫茶」的な業態のカフェあたりかな?

11/16

林芙美子の『下駄で歩いた巴里』を読んでいたら、どうにも旅に出たくなってうずうずしてきた。直近だと金沢へ旅行に行ったのだが、海外へはしばらく行っていない。韓国やタイといった比較的近場の国もいいけど、林芙美子のようにパリやロンドンでしばらく過ごしたい気もする。

「巴里まで晴天」の中では、旅費やチップ代、食べ物などを買った支出がことこまかにメモされている。『深夜特急』(沢木耕太郎)を読んだときにも感じたことだが、旅行は行くだけでも楽しいけれど写真やメモなどで記録を取ると後から見返したときにも楽しいし今後の旅行の参考にもなるのだろう。これまで何回も旅行をしてきたが、あまりそういったメモを取ってこなかったのが悔やまれる。二週間くらいかけてベトナムを縦断旅行したときの記録とか、絶対おもしろかったのに…!

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