読書日記(3/18-4/1)

3/18

シャーリイ・ジャクスンの作品にはなんとなく幻想的で陰鬱な作風のイメージを持っていた(始めた読んだのが『ずっとお城で暮らしてる』だったからだと思う)ので、『なんでもない一日』を読んでその幅広さに驚いた。「レディとの旅」や「喫煙室」みたいに明るいところのある作品もおもしろかったけど、やっぱり「ネズミ」「悪の可能性」「アンダースン夫人」のように人の悪意や底知れなさの垣間見える作品が好きだ。知っていると思っていた人が急に得体の知れない人になってしまう瞬間にぞくっとする。

 

3/20

安楽椅子探偵の代表格であるミス・マープルは、長編としては『牧師館の殺人』(アガサ・クリスティー)に初めて登場したらしい。語り手であるクレメント牧師を除き、ほぼすべての登場人物がミス・マープルを「ゴシップ好きのおばあさん」と舐めてかかっており、ミス・マープルの観察眼や推理力は最後まで軽んじられている(犯人解明もスラック警部の手柄になっているし)。でも、安楽椅子探偵としてはその方がいろいろと都合がいいんだろうな。「ただのおばあさん」と思わせておいた方が動きやすいだろうし。セント・メアリ・ミード村の事件を解決していくうちにミス・マープルがただものではないことが広まってしまうような気もするのだけど、その辺りはどのように処理されているのか気になる。

 

3/24

シャーリイ・ジャクスン『丘の屋敷』はとても怖い作品だ。しかし、読んでいて清々しくなる部分もある。仲の悪い姉一家との関係や母の介護をしていたために他の人間関係を築くことができなかったことなど、外の世界に居心地の悪さを感じていたエレーナは、屋敷に魅入られてやっと安住の地を見出したのだ。それは、くりかえされる「旅は愛するものとの出逢いで終わる」というフレーズからもうかがえる。ラストにおけるエレーナの行動は側から見ると悲劇だが、エレーナ本人にとっては「屋敷に居続ける」という願いを叶えるため、自分を軽んじてきた人々や世界に一矢報いるために取ったものなのだと思う。

 

3/27

小川洋子の短編集『まぶた』。ところどころ他の小川作品と呼応する部分があり、なんだか懐かしさを感じた。例えば「バックストローク」に登場する「弟」は、泳いでいないときたいてい部屋の隅や納戸の中などのすき間におさまっている。これは『猫を抱いて象と泳ぐ』のリトル・アリョーヒンの姿と重なる。

すき間におさまること、他の人には理解しがたいものを収集して精密にラベリングすること、眠りをもたらすものに目を凝らすこと、もう居ない人の濃厚な気配を感じ取ること。小川作品らしい、様々な営みへの偏愛が感じられて(既視感はあるものの)おもしろかった。

 

4/1

『大きな鳥にさらわれないよう』がおもしろかったので同じ作者のもので長編を探してみたところ、『水声』にたどり着いた。時系列も夢現もあいまいで、後ろ暗い執着や愛情が淡々と描かれている。作中、度々「笑っているようで実は笑っていない顔」の描写が出てくる。語り手である主人公の、母や弟に対して持つ感情に由来する後ろめたさが、他者の顔に対する認識を歪ませていたのかもしれないと思った。