読書日記(4/13-5/18)

4/13

『N/A』(年森瑛)。「ただ、がまくんとかえるくんや、ぐりとぐらのような、お互いの中だけにある文脈を育んだ、二人だけの唯一の時間が流れる関係性を人間の世界で得るのは難しいということも、年を重ねるにつれて理解しつつあった。別々の場所で暮らしながらも、一緒にごはんを食べたり、どこかに遊びに行ったり、見返りもなくやさしくしたり、それだけのことを続けるのには、人間なら恋愛感情が付随していないといけないようだと察していた。」(p.29)

自分としては「その人とだから」関係を深めたい・個別の文脈を深めたい、と思っていたとしても相手はそうでもなく、むしろ「恋人、彼女、妻」を欲していて、その枠や「恋愛感情」ありきで自分との関係を望んでいたと知ったときの徒労感というか見ているものが違う失望感ときたらすごいものがある。個別の文脈を含んだ代替不可能な「私とあなた」ではなく、(例えば)「法律婚をして名字を変えて子どもを産む『女の子』」か?という視点からジャッジされてたんだ…という衝撃。お互いに事故みたいなものです。

4/20

神保町のTea House TAKANOで『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理)を読んだ。今起きていることはジェノサイドだということ、日本の主要メディアはイスラエルの成り立ちなど歴史的な文脈や根本的な問題を排して「憎しみの連鎖」「どっちもどっち」として報道し、ジェノサイドに加担しているということ、イスラエルパレスチナ人に対するアパルトヘイト国家であり、植民地国家であるということ、アメリカにとって都合の悪いときは人権や国際法が無視される国際社会の二重基準があるということ。

パレスチナで起きていることに限らないが、知ることは大事だけど、知るほどに無力感も感じる。「結局私個人は何もできないじゃん、知ったって無駄じゃない?」と思ってしまう。思いながら寄付をしたり、デモに行ったり、停戦を求めるパッチをかばんにつけたりしている。

「日本の植民地主義に向き合い、批判することもパレスチナへの連帯につながる」という指摘が印象的だった。現在進行形で日本にも植民地主義はあるのだから、対岸の火事のようにパレスチナで起きていることだけに気をもむのではなく、今の日本にも目を向ける。

4/26

少しずつ読んでいた『思い出のマーニー』(ジョーン・G・ロビンソン)と『不穏な眠り』(若竹七海)を読み切る。『思い出のマーニー』は、アンナがタイムスリップしてマーニーと出会っていたと捉えてもいいし、幼い頃マーニーから聞いていた少女時代の記憶がノーフォークの景色によって呼び起こされたと捉える余地もあるのがおもしろい。児童小説として読むなら「タイムスリップして実際に会っていた」解釈の方が好き。

5/9

20代も中盤に差し掛かってきたわけだが、まだ「かっこいい大人になりたいな~」とぼんやり思うことが多い。もう成人しているのだから大手を振って「子どもである」とは言えないし、かと言って自分が大人であるとも思えない。『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶)を読んで、どうやらこれはもうしばらく「大人になりたいな~」とぐだぐだ考えることになりそうだ…と覚悟をする。

5/18

積んでいた『時空争奪:小林泰三SF傑作選』(小林泰三)を読む。「クラリッサ殺し」に既視感を覚えて調べたところ、これはNOVAの2019年春号にも掲載されていたらしい。ところどころ読み覚えはあったけどオチには新鮮に驚いた。記憶力の性能が低いとこういうところで何回も楽しめていい。
小林泰三と言えば『アリス殺し』が有名だが、実は読んだことがない。