読書日記(10/29-11/16)

10/29

友だちが何か本をプレゼントしてくれるというので、シャーリイ・ジャクスンの『くじ』をリクエストした。冗談半分ではあっても他人の家で我が物顔に振る舞う人(「おふくろの味」)、自分の満足のために孫や子どもの才能をひけらかそうとする人(「麻服の午後」)、家事の手伝いに通っていた家の夫人に対して自分もその家に住ませるようほのめかす人(「大きな靴の男たち」)。自分と相手の境界線を無視する人・曖昧な人は怖い、というか嫌だ。

『くじ』はおもしろかったが、物語の悪意にあてられて少し疲れた。バランスを取りたかったので合間に『るきさん』(高野文子)を読む。主人公のるきさんには力みや焦りがまったくないように見える。自分の仕事を持ち、えっちゃんという親友がいて、一人の時間を飄々と(でも楽しそうに)過ごしており、ときどき突拍子もない決断をする。でも、るきさん自身は「突拍子もない」とは思ってなさそう。私もこういう大人になりたいな。るきさんたちの年齢になるには後10年くらいあるみたいだからがんばります。

11/5

ファミレスで『78枚のカードで占う、いちばんていねいなタロット』(LUA)を読む。偶然引いたカードが「事実」を言い当てることはないだろうが、そのカードを見て自分がどう感じるのか言葉にしていくと、自分の持っているバイアスや願望に気がつくことができておもしろい。この頃タロットカードや西洋占星術などにほんの少し触れてみて、占いには、意識してもいなかったキーワードや概念を偶然によって呼び込むという機能があるのではないだろうかと感じた。

最近はこの本の解釈を確認しつつ、自分の運勢や目の前の選択肢を占ってみている。初心者なのでまずはスタンダードなウェイト版のカードを使っているのだが、絵柄があまり好みではないのでもう少し慣れたらかわいいタロットカードもほしいな。

11/10

書籍部で『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』(森山至貴・能町みね子)と『ダーリンはネトウヨ』(クー・ジャイン)を買った。『ダーリンはネトウヨ』は、まだ翻訳される前にMoment Joonが紹介していて気になっていたから見つけられてうれしい。

日本人が韓国出身である留学生うーちゃんに見せる無邪気で差別的な態度。「日本語上手だね」という声かけ自体には多分悪意はない。でも、うーちゃんは何回も何回もそうした「悪意のない品評」にさらされる。「無邪気な」マイクロアグレッションがうーちゃんを削っていく。

うーちゃんの経験した差別や日常的に浴びせられるマイクロアグレッションは、この社会で「シス女性の日本人」として埋没して生きていくことができる特権を持つ私が心からわかると言ってはいけないものだと思う。一方で、「ダーリン」が無意識であっても差別的であること、この社会でマジョリティである「ダーリン」の見えている景色と自分に見えている景色の断絶に唖然としてしまうことは、友人からも似たような話を聞いたことがある。端から見ると「そんな人とは別れればいい」と思ってしまうが、うーちゃんにとって「ダーリン(いっしー)」は、すぐさま「差別主義者である」とすっぱり切り捨てるにはさまざまな経験を共有しすぎていたし、いいところも知りすぎていた相手だったのだ。それでも、相手のふとした言動で自分を削り続けることはできないよね。

11/12

数ヶ月前に往来堂書店で開催されていた「D坂文庫2023夏」という文庫フェアで紹介されていた『ファッションフード、あります。はやりの食べ物クロニクル』を読んだ。著者の畑中三応子は料理本・雑誌(『シェフ・シリーズ』や『暮しの設計』など)の編集者として活躍してきた人らしい。

この本によると、ファッションフードとは「純粋に味覚を楽しむ美食行為としてではなく、流行の洋服や音楽、アートやマンガなどのポップカルチャーと同じ次元で消費される食べ物(p.15)」である。人々はファッションフードの味そのものというより、それに付随する情報を消費するということだ。主に1970年代~2011年ごろのファッションフードが挙げられているのだが、キャラ弁や「食べるラー油」などの流行は私の記憶にもある。
はっきりとジェンダーフェミニズムなどの言葉で説明されているわけではないが、随所でファッションフードがジェンダーという観点から読み解かれているのがおもしろい。70年代に『an・an』や『non-no』といった女性向けの雑誌が食と家事を切り離した上で魅力的なファッションフードを提示し、家事という義務としての食ではなく娯楽や趣味としての食を打ち出したこと。缶コーヒーの広告が「働く男の理想像」を広告として強調してきたこと(これは『ジェンダー目線の広告観察』(小林美香)でも触れられていた)。スローフードに対して「粗食と同様、スローフードアメリカ型食生活を否定して、いまこそ『美食』に戻ろうと説いた。しかし、こうした食の伝統回帰思想に出会うたび気になるのは『だれが作る?』かだ。食材の調達からして手間と労力のかかる昔の料理は、女をもう一度台所に縛りつけないだろうか。(p.265)」と指摘していること。食とジェンダーは不可分な関係にあるのだ。

ところで、最近のファッションフードはなんだろう?クラフトビール、パフェ、「純喫茶」的な業態のカフェあたりかな?

11/16

林芙美子の『下駄で歩いた巴里』を読んでいたら、どうにも旅に出たくなってうずうずしてきた。直近だと金沢へ旅行に行ったのだが、海外へはしばらく行っていない。韓国やタイといった比較的近場の国もいいけど、林芙美子のようにパリやロンドンでしばらく過ごしたい気もする。

「巴里まで晴天」の中では、旅費やチップ代、食べ物などを買った支出がことこまかにメモされている。『深夜特急』(沢木耕太郎)を読んだときにも感じたことだが、旅行は行くだけでも楽しいけれど写真やメモなどで記録を取ると後から見返したときにも楽しいし今後の旅行の参考にもなるのだろう。これまで何回も旅行をしてきたが、あまりそういったメモを取ってこなかったのが悔やまれる。二週間くらいかけてベトナムを縦断旅行したときの記録とか、絶対おもしろかったのに…!

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もしよければおすすめの本を教えてください。時間はかかるかもしれませんが読んで読書日記に書きます。

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